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今日は精神疾患とは関係ない話なのですが、「人に迷惑をかけることは絶対にいけないというわけでもないのかな?」と、たい焼きを食べつつ昼ドラを観ながらふと思ったので、なぜそう思うのか頭の中を整理してみようと思います。


自分のものは自分のもの


犬の散歩で公園を通ると、砂場から数組の母子達の声が聞こえてきます。

ママ「はなこちゃん、これはたろうくんのシャベルだから返さなきゃダメよ。はなちゃんのはこっちでしょ。」

はなこちゃん「やだ!」

たろうくん「ママー、はなちゃん僕のシャベル取ったー」

ママ「はなちゃん!ほら、たろうくんが返してって言ってるでしょ。ほら早く!」



人のものは人のもの

「自分のものは自分のもの、人のものは人のもの」という意識は、幼稚園の入園の準備から、いやもしかしたら生まれた時からすで始まっているかも知れません。

一人一人がそれぞれ自分の持ち物を揃えておくことは、人に迷惑をかけないための知恵と対策です。

日本全体ではどうなのか分かりませんが、少なくとも私の家の周りでは

「ちょっとお醤油貸してくれない?」

「いいわよ、はいどうぞ」

「いつも悪いわね」

「お互い様よ」


という会話は聞いたことがありません。

お醤油は各家庭にきちんと予備まで配備されていますし、もしかしたらお醤油にも苗字を記している家庭も冗談ではなくあるかも知れません。

確かにそこまで濃い人間関係はいくらなんでも私でもお断りです。
それに私は隣の家の奥さんの顔を知らないので、声のかけようもありません。

そんな私がこんな話題を持ち出す方がおかしいと自分でも思います。



人のものは自分のもの

少し前、私はとある国の小さな学校に通っていました。
通っていたというよりも、毎日遊びに行っていたと言った方が正解です。

その学校には様々な国から学生達が留学しに来ていたので、日本とは違う他国の文化や慣習を
私は毎日飽きることなく観察することが出来ました。

私は学校に通っている間中、大量に筆記用具を買っていました。
シャープペンにボールペン、消しゴムから鉛筆削りに定規までです。

なぜかと言えば、毎時限クラスの子が「鉛筆貸して」「消しゴム貸して」と私の筆箱から持っていってしまうからです。

そして1度貸したものが戻ってくる確率は非常に低いです。借りた人はそのまた隣の人に貸し、隣の人は今度は後ろの人に貸し、授業が終わる頃にはどこに行ったのか探すすべもありません。

ひどい時には、いざ使おうとしたら自分のペンが1個もなくなっていて、私まで人からペンを借りるという事態に陥ってしまうこともありました。

時々「あれは私が貸したペンだ!」と気付いても、彼らは当たり前のように自分のバッグにしまって帰るので、気の弱い私には「返して」などとは到底言えません。

そこで私達日本人がまず考えることは、

「何で自分の物を持ってこないわけ?貸りたら返すでしょ普通」

ですよね?

私も最初、日本で買ってきたお気に入りのシャープペンがどこかにいってしまった時には、怒りが湧きましたもの。

しかしそんな理屈は彼らには通用しません。

もしかして貧乏なの?とも思うかも知れませんが、彼らの親はみな大富豪です。



受け取ることは礼儀

私の親友は毎日毎時間私のところへやってきては、「僕のペン貸して」と笑いながら手を出します。

でも彼はケチなわけではないのです。むしろその逆です。

先生が「みんな明日はマーカーを持って来なさーい」というと、その友人はクラス全員の分を買って来てうれしそうに配ります。みんなはそれを当たり前のように受け取るのですが、私は真面目に自分のを用意しているので「必要ない」と言うと、彼はものすごく悲しい顔をするのです。

なるほど。と思い、それからは友人がみんなのために大量のお菓子を買ってきた時は、たとえ欲しくなくても「ちょうだい、ちょうだい!」と言って、うれしそうに「ありがとう!」と受け取るようにしました。

そうすると、彼は満面の笑みで「どういたしまして!」と答えるのです。

彼らの国ではそれが受け取る者の礼儀だったのですね。
彼らにとっては自分の物を人に与えることは、むしろ喜びのように私には映りました。

自分の物と他人の物をきちんと区別することは、迷惑をかけないように配慮するからであって、悪いことでもなんでもありません。私だってそんなのは当たり前だと思っていましたし。

しかしそうした考えは、万国共通ではなかったのだと知ることが出来た貴重な体験なのでした。彼らにとって物を貸し借りすることは迷惑をかけることには当てはまらないのです。

そしていつしか彼らの影響を受けた私も、不思議なことに人にペンを貸すことが楽しみになっていきました。





世話を焼くのが好きな人

自分の周囲を見ていても、人に世話を焼いたり物を贈ったりするのが好きな子は、だいたい親や兄弟の話をよくする、イコール家族の関係がうまくいっている、そして愛情をたくさん受けて育っている子が多いように見受けます。

その子はなぜ人に世話を焼きたいのか考えてみました。
本人に聞いたからではないので「多分」なのですが、よくよく観察してみるとその子は、単に「ありがとう」と喜んでもらえることがうれしくてたまらないようなのです。

逆にこちらが「こんなことしてもらったら悪いわ。迷惑かけてホントごめんね」なんて謝れば、「余計なことしちゃったかな」と先ほど話した留学先の男の子と同じようにがっかりした顔をします。

その子にとっては迷惑をかけられることの方がうれしく、迷惑をかけられないように遠慮されることの方がむしろ残念なようなのです。



人の迷惑を受け入れる

私達は「人に迷惑をかけてはいけませんよ」と子供の頃に親や学校の先生に教わって育って来たと思います。

しかし、とある国の子供達は
「人には迷惑をかけて生きていかなければならないのだから、人の迷惑も受け入れてあげなさいね」

と教わって育つのだとか。

それを知った時、自分にはまるでそんな発想がなかったものですから、固定観念を打ち破られたことに非常にショックを受けました。うれしい方のショックです。

どちらが良いかなどと比べる必要はなく、良いなと感じたことは、変な理屈をこねず素直に受け入れたいなとその時思いました。



与えることは与えられること

子供は親に、ある意味大迷惑をかけながら育ちます。しかし親の方はそんな子供の満足げな寝顔をみると、見事にそんなことは忘れ、幸せな感情に包まれます。

年に1回母の日にだけ「お母さんありがとう」と似顔絵を描いてもらっただけで、その前の364日間どんなに迷惑をかけられたとしても、そんなの一瞬でぶっ飛んでしまいます。

与えるということは、逆に与えられた者から幸せを与えてもらえる好循環を生み出すのだと思います。

人に感謝されれば、感謝された方はうれしくなるのでもっと助けたくなります。
人を助けることで、その人の心は満たされるからです。

逆に、他人に迷惑をかける事は絶対にしてはいけないと決めつけてしまえば、人が親切にすることで得られる満足感を、その人が奪ってしまうことになるかも知れません。

迷惑をかけることは、相手に助けるチャンスを与えることでもあるのです。


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世の中は悪人ばかりでもない

最初に話したように

「人に迷惑をかけることは絶対にいけないというわけでもない」

と、たい焼きを食べつつ昼ドラを観ながら私がふと思ったことは、しっかりと実証したわけではありませんが、あながち間違ったことでもないんじゃないかなと思います。

私達の病気は、その症状のひとつに妄想が含まれることがあります。
そのせいで周囲の人が全て敵に見えてしまうことだってあります。
そんな時に世の中捨てたものじゃないと前向きに生きるなんて、ブッダでも不可能だと思います。

そういった極端な状況は別として、私達の周囲はすべて自分の敵で悪人というわけではないのです。

私達は周囲に迷惑をかける機会が極めて多い病気を抱えています。
そのことが原因で自分の心を苦しめてしまっている人も多いのではないかと思います。

しかし確かに世の中は良い人ばかりではないけれど、悪い人ばかりというわけでもないのです。ですから、周りに助けを求めることは絶対にいけないなんて、わざわざ自分を追い込む必要はないのだと私は思います。