15346477980_b76e321716_b


私達患者には、病気を理解して欲しいという欲求が常にあります。

日々理解してもらえない言動に、傷ついている人はたくさんいると思います。

病気を理解してもらえないイコール、自分を否定されていると感じる人も多いと思います。


それとは別に、病気になって弱い人達の気持ちが分かるようになったと言われる方もたくさんおられます。

精神疾患を持つ人々の苦しさが理解出来るようになったという方もいます。

同じ病気の人同士なら分かり合えるだろうと、親密な関係になる人達も意外と多く見かけます。


しかしそんなに世の中というのは、精神疾患のある人々に対して冷たい場所なのでしょうか。



誰なら理解してくれるの?

確かに昔は、精神疾患に対して非常に強い偏見があったというのは事実です。

しかし昨今では病気を理解してあげられない人は、冷たくて人間的ではないという悪いイメージを周囲から持たれてしまうので、偏見を口にする人は少なくなっているように思います。

それに例えばある人が「理解しているよ」という言葉をかけてくれたとしても、実は気を引くだけであったり、良い人と思われたいだけのこともあります。



じゃあ誰なら自分を理解してくれるの?って叫ぶ人がいるかも知れません。

けれどそんなに自分以外の他人のことを理解出来る人なんているのでしょうか?

逆に私達はどうなのでしょう。

私達は、精神疾患でない人の病気の知識はどれだけあるのでしょうか。



2101281175_507a7f3163_o


理解者側の視点(1)

話は少し変わりますが、医療従事者というのは知識がなければ仕事にはなりませんから、当然勉強をします。

それでも患者さんの心の奥までを理解することは困難です。

出来る限り患者さんの気持ちに寄り添っていきたいという思いは確かにあるし、その為に必要なコミュニケーションの方法を学びはしますが、本当の心の中は本人にしか分かりません。

完全に理解するなんて事は不可能です。



理解者側の視点(2)

「同じ病気を経験をしなければ、患者さんの気持ちを理解する事はできない。そして自分は患者さんの気持ちが理解出来ないから、看護の仕事はしてはいけないのではないか」と悩む学生がいました。

しかし同じ病気を患って、患者さんの気持ちをすべて理解しなければ、看護の仕事をしてはいけないというのなら、世の中の従事者はすべて病人になってしまいます。

深く理解しようとすれば、逆に気持ちが入り過ぎてしまって、冷静さを失い正しい判断が出来なくなってしまう事もあります。

患者さんの気持ちに寄り添う事はもちろんしますが、それ以上にその人に合った看護を適切に行う事が何よりも大切です。



tumblr_nos0xsaSpl1ted1sho1_1280


すべてを理解するのは不可能

職場や友人など一般の健常者の人が私達当事者の立場に立って理解を深める時には、まず本などを使って知識を増やし、接し方を学んで行くことになります。

そこまでしても完全に私達のことを理解が出来るかと言えば、そうではないと思います。

人というのは、「理解して欲しいと願うその人自身になることまでは出来ない」からです。



逆に私達は、相手自身となるところまで完全に人を理解することが出来るのでしょうか。

もしかしたら5割程度ならなれるのかも知れませんが、それ以上になってしまえば必然と相手の領域の中で生きて行かなくてはならなくなってしまうことでしょう。

自分の人生よりも、相手の心や体と一体になって生きなければならなくなってしまいます。

それが家族間であれば、なおのこと負担になってしまうことは明らかです。



寄り添う以上に大切なこと

健常者が私達のことを理解するというのは、私達の感情の波に翻弄されることではありません。

普段はけんかをしたり、冷たくされたり分かってもらえていないと感じてしまうことが多いとしても、彼らにも生活があるわけですし、いつもいつも私達に寄り添っているわけにもいきません。

そういった依存的な寄り添いよりも、私達に起こる大きな波の予兆に、早めに気付き的確に対処してくれる人の方が、私達にとっては重要な存在になるのではないでしょうか。



距離がある方が心地良い

私なら、病気のことは何となく理解はしているけれど、それはそれで彼らの生活を全て私に合わせるのではなく、自らの生活を変わらなく続けてくれる人と一緒の方が、かえって居心地がいいと思います。

こちらが寝込んでいたとしても、何事もないように歌いながら家事を手伝ってくれる姿に助けられることがあるかも知れません。

苦しんでいても、全然関係のないくだらない話をしてくれる友人に涙が出るほど感謝することもあるでしょう。

ああこの人は全然自分のことを分かってくれない、と悲しくなることはもちろんあるとは思いますが、本当に必要な時に必要な手助けをしてくれればそれだけでも十分のような気がします。



分かってくれたらラッキー

「分かってもらえないのは当たり前のことで、もし分かってくれる人に出会ったとしたら、それはラッキーなことだよね」と言っていた人がいました。

本当にその通りだと思います。

だって、みんなそれぞれの人生の中で生きているのですから。



girl-playing-soccer-ball-happy-fun-child-kid


大人としての自覚を持って

私の場合は、例えば知人に「怠けてる」「もっと頑張れ」と言われたとしても、最初から理解をして欲しいという感情がないので、彼らと普通に人間関係を保つことが、実際に今は出来ています。

それでもいつもではありませんが、躁状態や混合状態の時などは自分自身をコントロール出来ないので周囲に迷惑をかけてしまいます。

しかし私はラッキーなことに、今までそれで一時的に関係がうまくいかなくなっても、時間が経ってお互いが冷静になった時に、きちんと自分のその時の状況を話して謝ることで、関係を修復することが出来ています。

たとえその時点では相手に理解をしてもらえなくても、こちらが相手を理解しようとする努力を怠らなければどうにかなるものです。


こちらが相手に誠実な態度を示すこと忘れなければ、そして諦めないでいさえすれば、あとはどうにかなるだろうと楽観的に考えるようにしています。

もしそれがうまくいかなかったとしても、うまく行かないことが当たり前なんだという風に最初から考えていれば、死んでしまいたくなるような深い悲しみにくれる時間はそれほど長くは続かないと思います。

「病気を持つ一人の大人と自覚して生きて行く」いうのは、そういう事なのではないかと思っています。