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双極性障害という、自殺率の高い疾患を抱える私達にとって大切なこと。

それは、まず生きているということ。

たとえどんな状況に置かれていたとしても、たとえ一般的な暮らしとは違う生き方をしていたとしても

「私達はとにかく、どんなことがあっても生きてさえいればいいんだ。」

今まではそう思っていましたし、確かにそれは正論です。

しかしこの1年ブログを書いているうちに、少しだけ考えが変わりました。



ただ生きているだけではダメなんだ。

「どんな人でも人間は、ただご飯を食べて命を繋いでいるだけでは駄目なんだ。それはただ死なないでいるだけで、生きているとは言えない。」


「生きるというのは、たとえ最低限の暮らしの中にいたとしても、その中に小さな楽しみを見つけ、笑ったり泣いたり人間らしい感情を大切にすることなんだ。」



人はどんなに苦しい状況の中にいても、その中に小さな希望を抱き、前向きに生きようとする本能が備わっています。

小さな楽しみとは、お酒や美味しいコーヒーなど嗜好品であっても全然良いと思いますし、たまに好きな物を食べに出かけたり、映画を観る、カラオケに行く等どんな細やかなものであっても構わないんです。

親しい人からの連絡だって、小さな(大きな)楽しみのひとつのはずです。

その「たまに」を楽しみに待つことを、別のことばに置き換えるとするなら、それは私達にとっての小さな「希望」です。


人間が自分で意味を与えないかぎり、人生には意味がない。
ー エーリッヒ・フロム


ご飯を食べて、寝て、起きて、食べる為生きる為だけに仕事をして、またはぼんやりと1日をやり過ごすだけの生活だとすれば、それは「ただ呼吸をしている」のと同じこと。

まずは生きている事が大切なのはもちろんなのですが、命を保っているだけの日々を送った事がある人なら分かるはずです。

それは決して「生きている」とは言えないと。



小さな希望に気付けたなら

孤独を感じる人、逆に1人になりたい人、体調が思わしくなく今は希望がどうだの言ってる場合じゃないという人も、死ぬのが怖いからただ生きているだけという気持ちから、今までは当たり前過ぎた小さな出来事が、生きる楽しみのひとつなのだと気付けたとしたら。

その人はもう、ただ生きているだけの人ではありません。

人は元々欲張りですから、小さな楽しみを知れば別の小さな楽しみを欲するようになります。生きる希望なんてそんな小さな事から始まるのだと思います。

たとえ今はまだそんなことを考えている余裕がなかったとしても、「死にたい」と考える時間よりも、自分が好きだったことや楽しかったこと、またはやってみたかったこと、しばらく会っていない友人のこと、誰かとの約束、そんなことに思いを馳せる時間を増やせれば、息苦しかった心の中が少しだけ自由になるのではないでしょうか。


時間は有限ですが、時間割は自由です。

お正月というのは、人それぞれ思い思いに1年の過ごし方を自由に描く大切な期間でもあります。

さて、2017年はどんな年にしよう。


どんなに悔いても過去は変わらない。
どれほど心配したところで
未来もどうなるものでもない。
いま、現在に最善を尽くすことである。
ー 松下幸之助