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芸術的才能のある人、作家、画家、音楽家など素晴らしい作品を手がける人達の中には、実際には無口であったり、変わっているという評価をされている人も、過去の有名な芸術家達から見ることが出来ます。

多分そう言った人達は、人との関わりが得意ではない、自分の内側にしか気持ちが向いていない、もしくは周囲に興味がない、傷つきやすい性格などといった面から、人との交流を苦手とし、心の内側から鍵をかけているのかも知れません。



精神疾患を抱えた芸術家達

芸術家の中には双極性障害や統合失調症などの精神疾患を抱える人が多いというのも、どこかうなずけます。

心に響く作品を見ると、この人はどんな人なのだろうと興味を抱くものですが、太宰治夏目漱石ゴッホピカソベートーベンなどにしても、多分私のイメージではコミュニケーションが長けた人というよりも、気難しいタイプの人の方が多いのではないかと、彼らのことが書かれた文献などから推測します。

上に挙げた人達は、のちに双極性障害を含む何らかの精神疾患があったと言われる人達です。

私は双極性障害は障害などではなく才能だと強く思っています。


芸術作品とうつ的要素

芸術作品には様々なものがありますが、ややうつ的な雰囲気を醸し出した作品が好まれる傾向があるように思います。

それこそが芸術と精神疾患の特徴的な繋がりだとも考えられますよね。

作品、または作者の中にある内面的な部分、精神世界に惹かれるという感覚でしょうか。

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例えば太宰治の「人間失格」
主人公が少年時代に「道化」によって自らを封印し、それが偽りの自分であると知られるのを恐れる姿は、読む人によってはさっぱり意味が分からない奇行だとしても、それはまるで自分の生き様のようだと胸を痛める人もいます。

意味が分からない人ほど、彼を賞賛するでしょう。なぜなら自分の想像もしない思考や生き様を深く細かく描写した作品を、彼の特異な才能だと評価するからです。

しかしそれは彼(もしくは私達の一部)には、想像せずとも容易に表現出来てしまいます。もちろん小説として公表出来る文才は、彼だけの才能ですが。


斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)



感じる力こそが才能

文学に限りません。絵画や音楽の中にも「なぜ?どうしたらこんな作品が生まれるの?」または「この人おかしい、普通じゃない」と感じる人がいる一方、理解したくない部分までをも悲しい程理解出来てしまう人もいます。

この感じる力というものも、実は芸術的才能なのではないかと私は思っています。

感じるというのは感覚なので、感覚的に表現する人と感覚として感じやすい人がいる、また感じる力が強いから、感じたままを表現出来るとも言えますよね。

感じなければ感覚は生まれない、だから表現するテクニックがなかったとしても、感じる能力の長けた人には大きな才能が宿っているに違いありません。

感受性の強さそのもの、それ自体が芸術的才能なのだと思うのです。


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ジャンルを問わず芸術とは、対話では本来の自分自身を表現するのが難しい、言葉では理解してもらいにくい精神疾患を抱えた人にとっては、大切な自己表現の場であり、その場所こそが彼ら(もしくは私達)自身の本当の人間性が表れる場所なのではないでしょうか。

一般的に理解されず、心の中に溜まった抱えきれないマグマを爆発させられる唯一の場所、その場所こそが彼ら(私達)にとって生きる場所なのです。



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