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精神疾患を患うと、病気と人生の出来事が混同してしまう。

病気になった原因を頭の中で追求し、私がこんな目にあったのは親や上司が100%悪いに違いないと、時に呪う。

人の死など、大きなイベントがきっかけになることは確かだけれど、それはただのきっかけに過ぎなかったりする。要するに100%だとは言い切れないし、それが100%などという証拠もない。

こんな生き方をしたから病気になった。こんな家に生まれたから病気になった。果たしてそれがすべてなのだろうか。



モチベーションを上げたもの

私は毎日狭い部屋の中でひとり、休職した頃のことを思い出していた。あの時たくさんの人に迷惑をかけたこと、家族のように思っていた彼らとの突然の別れ、あんなことがなければこんな人生にはならなかったのではと、毎日ぐるぐると頭の中で考え続けていた。

それだけではない、私をどん底に陥れたのはあいつだと呪った人も何人もいた。もし違う人生を選んでいたとしたら、どうなっていただろうかと想像したりもした。


ただ忘れないでいただけ
ある時布団の中で天井を見つめながら、私の夢は何だったのか、もし病気が良くなったとしたら何がしたいのかと考えたことがあった。

そういえば私には一度見てみたい景色があった。ある国のある湖。

それを思い出した瞬間、私はただの夢想家ではなくリアルの世界を求める旅人になった気がした。何だか分からないけれど、そこから旅がスタートしたような気分だったのは確かだった。

後に運良くその夢は叶ったのだが、その時に私がしたことといえば、布団の中で苦しみながら夢みていた、叶うはずもない夢をただ忘れないでいたことだけだ。

それこそが今も私の生きるモチベーションであり、前向きに治療を受けるため、そして一生懸命に生きるためのエネルギー源となっている。

あの時私の生きるモチベーションを上げたのは、薬だけではなかったのは確かだ。



原動力になるものは人それぞれ

もしあのまま引きこもっていたら、私はただの夢想家でしかなかった。

一番変わったと思うことは、自分の人生を人のせいにしなくなったことだ。

少しくらい上手くいかないことがあっても、それで人生が終わったような気持ちにはならなくなった。

リアリストになれと言っているのではない。夢を見たり空想をすることは心を豊かに柔らかくする大切なものであり、逆に失いたくないもののひとつだから。

私の場合は生きるパワーを蘇らせたのは旅だったのだが、それは人によっては大切な家族や身近な人の存在であったり、何か別の夢であったりするのかも知れない。

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青蔵鉄道から見たチベットの青空

昔どこかで聞いた話だけれど、冬山で遭難した人が自力で必死に下山したという。その時に生きるモチベーションとなったのが、年老いた母親の存在だった。

彼女の面倒を看るのは自分しかいない、そのために自分は死ぬわけにはいかないと、最後まで諦めなかったから生き延びることが出来たのだと。その人は運だけで生き延びたのでは決してないと私は思っている。



服薬するのは当たり前

人の心や身体に地の底から這い上がるパワーが生まれるのは、薬の力だけではない。もちろん薬の力がなければ、精神疾患を抱える私達は生きられないし、薬は私達にとって生きるためのエネルギーのひとつだけれど。

しかしそれはむしろ補助的な役割であって、薬というエネルギーだけで私達の人生が生き生きと光輝くものではない。

私達が部屋の中でインターネットをするだけの夢想家ではなくなり、仕事をしたい、またはやりたいことを叶えたいと靴を履き、ドアを開けて空を見上げようと布団から起き上がるのに必要なもの、それは希望を現実にするための強い意志だ。

目的なんてなんだっていい。心の中の火種を絶やさないためならば。

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カーニャクマリの朝焼け インド最南端にて

意思とは自ら決意すること

前へ進もうとする強い意志を「精神力」などと言ってしまうと、とたんに気持ちが萎えてしまう。「ポジティブ」なんて聞くだけで疲れる言葉を、わざわざ使う必要なんてない。

やりたいこと、または後悔せず自分らしく生きるためになら、少しは顔を上げて前を向くことは出来ないだろうか。

その時に人生のお守りのように、いつも鞄の中に入れておくべき物が薬なのであって、お守りだけを手にし祈るだけでは前には進めない。

「人生の悩みは薬では治せない」というのはそういうことであり、生きるモチベーションを強く高く持ち続けるために必要なのものは、結局は心のずっと奥にある、忘れかけていた夢や希望なのだ。

思い出せ、そして忘れるな。


人間は負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ。
ー リチャード・ニクソン