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最近になってようやく分かった。

本って人を作るんだ。




私がまだ小さな頃、本が家になかった。

一度だけ親戚の人がプレゼントしてくれた、たった1冊の絵本を、

何十回、いやもっと、破れてばらばらになるまで読んだ遠い記憶。




小学校に上がると、教科書がもらえた。

国語の教科書が大好きだった。お話を読むのが好きだった。

図書室には本がいっぱいあって、わくわくした。

それは今も同じ。




植物図鑑が大好きで、世界の童話が好きだった。

国語辞典は言葉の宝庫。ことわざ事典も何度も読んだ。

当時は医学事典すら暇つぶしに読んでいたのを覚えている。




公立の図書館にも通った。

とても古い造りの図書館で、冷たい廊下を音を立てないように

大人の真似してすまして歩くのが楽しかった。




中学になったばかりの私は荒れていて、本のことは忘れていた。

家庭環境に絶望していた。

学校をさぼり、夜遊びばかりしてた私に、先生が1冊の本をくれた。

高村光太郎の詩集。

高村光太郎、なんだそれ。

破り捨てようとして手を止めた。



国語の教科書には、島崎藤村がいた。

暇つぶしに立ち寄った本屋さんには、新川和江の詩集があった。

それらがなぜだか心に響き、なぜだか毎日詩を書くようになった。

それは何十冊にもなったが、ある日全部捨ててしまった。

しかし思う。私という人間の基礎は間違いなくそこにある。




高校は忙しかった。

毎日バイトと部活一色。

生活がかかっていた。

娯楽がほとんどなかったので、とりあえず本を読んだ。

海外文学に興味があった。

面白くはないんだけど、有名な本をただ読んでみたかった。




働きながら通ったその上の学校は、もっともっと忙しかった。

忙しかったから、睡眠時間を削って遊んだ。

朝まで遊んで、仕事して、ふらふらしながら試験を受けて資格を取った。

本を読んでる暇なんてなかった。




20代は、一番勉強した。

人は学生時代より、社会人になってからの方が勉強するというのは本当だと思う。

仕事の基礎を築きつつ、小説、エッセイ、ビジネス書から心理学、自己啓発本から古典まで、読む本がないと不安になるほど活字中毒なっていた。

将来が不安になればなるほど、脅迫されるように本を読むようになっていった。




けれど病気で退職したその日、私は本を読むのを止めた。

山積みの本を売り払い、仕事関連の本も全部捨てた。




人は本を読まなくなると、読めなくなってしまう。

仕事から帰って寝るまでの2時間もあれば読めた1冊が、今は何日かけても読めなくなった。

そしてこの1年、たとえ何日かけても1冊を読み切ることを目標に、少しずつ読書の時間を増やして来た。




退職する直前はビジネス本ばかり大量に読んでいたせいか、今の私は考え方や書く文章が少し堅いなと思うことがある。

その時読んだ本に影響されながら、人間も形成されていくことに気付いたのはブログを書き始めたつい最近のことだ。

書きたいことと書かなければいけない事に、抵抗とギャップを感じるのは、幼少期から学生時代に読んだ詩や文学が、自分の人格形成に強く影響しているからなんだと思う。




読まれるために書く文章、PV数を上げるために書く文章、仕事として書く文章、そういったことを生業にしている人は正直すごいなと思う。

なんでもいいからまずは始めてみよう、やってから考えれば良い、ダメならやめればいい、何かを始める時に自分に勇気を与えるその言葉に従って、取りあえず書き始めた1年前。

そして今その言葉をもう一度思い出している。

「やってダメなら止めればいい」




職業として書く人はテクニックを学んでいる。

これは言い訳だが、私の脳は根っからの双極性障害の脳で、要するに芸術家肌。芸術家肌というのは、有名な音楽家や画家の中にいる、波が来た時に大きな作品を生み出す人のことで、要するにムラがあるということだ。

純粋な芸術家と、職業として活躍する芸術家は、経済能力が違う。片方は他者の援助を必要とし、もう片方は経済的に自立する。




私がブログを1年書き続けて分かったこと、それは本が作り出した私の人格は、私の基礎を築いた幼少期から学生時代に大量に読んだ詩や文学によって形成されているということだ。

何が言いたいかというと、職業として書くテクニックがまだ未熟なのと、本来自分が書けるもののジャンルが、このブログとは決定的に違うということ。

ただだからといって前述した「やってダメなら止めればいい」の境地にはまだ達していないし、学ぶことで成長出来るだろうという希望もある。




だから時々、こんなどうでもいいことを書く時間も、決して無駄ではないんだと、結局はそういうことが書きたかっただけなのだけれど。

ちなみに今手にしている本、それは100年前に生きていた、そして26才でこの世を去った童謡詩人、金子みすゞの詩集である。

私という人間を育ててくれた学生時代に出会った詩に、今また出会い育てられている。100年経とうと人間はそう簡単には変わらない。むしろ過去や歴史が人を育てるのは自然なことなのかも知れない。

人が迷った時や人生の岐路に立った時に原点回帰出来るのは、自分の原点がどこにあるかを知っているからだ。