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私は時々、障害者側が発する「健常者」という言葉に、差別の匂いを感じることがあります。

「健常者に私達の気持ちなんて分からない」
「健常者の人は普通に仕事ができて羨ましい」

などという趣旨の発言です。

健常者といわれる人達は、そんなに障害者に対して傲慢で、みんながみんな普通に仕事が出来ていると言い切れるのでしょうか。

例え脳を含めた身体の疾患がないにせよ、悩みや不安を抱えて暮らす人は多くいますし、健康であるが故にストレスを感じながらも頑張り過ぎている人もいると思います。

私達自身が、逆に障害のない人達に対して「健常者」という言葉を使って差別しているように、残念ながら映ってしまいます。

健常者と障害者という隔てにも、何か疑問を感じませんか。多分これらの言葉を考えたのは健常者の方なのだとは思いますが、障害者の誰かが、健康で一般的な人達に対して「健常者」と呼ぶ時、そこにぼんやりと差別の色を感じるのです。

言葉には全てに意味があり、意味に名前を付けなければ、会話はスムーズにいきません。ですから概ね健康な人と身体に何らかの不自由がある人に、それぞれ一般名称を付けなければなりません。一般名称、ただそれだけのことです。

健康な人達は、自分のことを「健常者」などとは呼びません。しかし私達精神疾患を抱える人達は、「(精神)障害者」という言葉を割と頻繁に使っているように思います。私はそこにどうしても卑屈さを感じてしまいます。

健康な人が障害者を差別することがあるのと同じように、障害者もまた概ね健康といわれる人を「健常者」という言葉を使い、壁を作って差別しているようにも受け取れるからです。

障害者はそれだけ苦しんでいるんだよ、という当事者の心の叫びが、言葉に現れてしまっているのでしょうか。


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他に、障害の「害」という文字が差別的ではないかと、たまに議論になることがあります。これには様々な考えがあるのを承知の上で、一障害者の私の個人的な意見を言うと、

「字なんてはっきり言ってなんだっていいじゃん」

これに尽きます。

私と同じ意見の方がいました。
先日「第3回世界双極性障害デーフォーラム」に参加した時のことです。質問の時間に「害」という文字について同じような質問がありました。

その質問に脳科学研究者で精神科医の加藤忠史氏が
「そんなことまで気にしていたら、何も書けなくなってしまいます」とあっさり回答していました。

そうなんです。確かに言葉は重要ではあるのですが、そんなことをいつまでも議論するのはナンセンスですよね。確かに文字も大切ですが、延々と議論し続ける必要はありません。

どうしても抵抗があるなら、自分がネットなどで発信する際に好きな文字を使って主張すればいいことですし、時代が変われば「害」という文字もいずれ使われなくなる可能性もあります。

他にも別な意見を唱える医師もいましたが、当事者の気持ちを考えての意見ですので、もちろん受け入れます。それでも私個人の意見は、「字なんてなんだっていいじゃん」なのです。


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平成28年4月1日から「障害者差別解消法」という法律がスタートしています。障害のある人に「合理的配慮」を行うことで「共生社会」を目指すというものです。

障害のある人とない人が関わり合い、お互いに理解し合っていくことで「共生社会」が実現するのです。

そこに私達脳に障害がある者がいつまでも、健常者の人達は私達とは違うから、などと壁を作っていては、障害のない人達は私達とどう接して良いか分からなくなってしまいますよね。

お互いが文字や名称を使って壁を作り差別し合う時代は、過去のものになっていくはずです。未来の同病者が社会の中で安心して暮らせるようになる為にも、障害のない「健常者」だけでなく私達自身も「障害者」だけでかたまるのを止めて、心を開いて理解し合う努力が必要な時代になって来たということなのでしょう。